偶然の痕跡

これは「無作為のアーカイブ」シリーズの中の「偶然の痕跡」部門だ。偶然の痕跡とは、人の意図や作為によらず、偶発的に生まれた痕跡や形態を指す。超芸術トマソンが「実用物が無用化したもの」であるのに対し、こちらは最初から実用性を持たず、人や動物などの活動により、偶然誕生したものだ。


超芸術トマソンとの違い

超芸術トマソンは家のリフォーム工事などの結果として生じた「無用の物件」だ。つまり、かつては有用だったものが無用化したケースと言える。

一方、この偶然の痕跡は、生まれ落ちた瞬間から有用性を持たず、ただの痕跡として存在している。超芸術トマソンのような構造的な「不思議さ」は希薄だが、抽象絵画のように鑑賞することができる点におもしろさがある。


偶然に生まれた痕跡の例


路面に落ちたペンキの跡。近くに壁はないので、この場で塗装作業をしていた際にペンキが垂れたのだろう。滴った痕と線状の跡を確認できる。これを見て想起させられるのはジャクソン・ポロックの作品だ。ポロックはドリッピングという手法で偶然性を取り入れたが、実際には滴りをかなりコントロールし、配色も考えていたという。つまり純粋な偶然ではなかった。対してここで発見したペンキ跡は、作品意識が介在しておらず、完全なる偶然によって現れたものだ。


こちらはドリッピングというより書のようなタッチだ。なぜこのような筆致が生まれたのかは不明だが、釜山では塗装時に養生をしないことが多く、街中で数多くの「偶然のドリッピング」を目にすることができた。


壁に残るボールの跡。かなりくっきりしているが、ソフトボールだろうか。これは汚れた壁にボールがぶつかり、汚れが削り取られてできたもののようだ。


こちらも壁に残ったボールの跡。今度は泥の付いたボールが当たった結果のようだ。強い圧力がかかった痕跡で、荒々しさを感じさせる。表面が毛羽立っているので、テニスボールだろうか。「削り取られた跡」と「付着による跡」による違いはエッチングと木版画のようにも見える。


路面のセメントに残った猫の足跡。近くでは人間の足跡も含め、多くの痕跡を発見した。韓国ではこうした足跡が残ることに対して無頓着なようで、多くの足跡を観測することができた。


壁に無数の猫の爪痕が残っている。ここは猫道になっており、勢いよく登る際についたのだろう。精細なスクラッチがエッチングのように見える。


これは虫食いの跡だろうか。京都の寺院で撮影した柱に残っていた。もしかすると長い年月を経たものかもしれないが、表面の新しさからすると比較的最近の痕跡とも考えられる。


駐車場で見つけた車のタイヤ痕。連続的ではなく一点に集中して残っているため、長時間駐車していた際に圧力で型がついたのだろう。ドリフト走行などによりできた勢いのある跡とは異なる。


近所の駐車場入り口の縁石。擦れや削れが激しく、多くの車がここに乗り上げた痕跡と思われる。事故多発地帯のようでもあり、構造物の設計自体に問題を感じさせられる。


地下鉄の駅名標が剥がれた跡。接着が強力だったためか、深く削り取られている。剥がれた跡はそのまま現代芸術のようだ。


張り紙に使われたテープの跡。テープ跡自体は珍しくないが、ここではさまざまな色のテープが使われており、ビビッドな色合いが可愛い。


某私鉄駅のセパレートベンチの背後に、人の後頭部の痕跡が残っていた。多くの人が繰り返し後頭部を委ねた結果だろう。痕跡は薄くわかりづらかったため、ネガ反転させて強調した。このかすかな痕跡は、デュシャンが言及した「アンフラマンス(inframince)」の概念に近いと感じた。

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