上原ゼンジ
私が写真として記録しようとしているのは、光が網膜に達し、意味へと変わる直前の質感だ。世界には名前がついているが、それは人間が便宜上つけたもの。意味によって回収される前のこの混沌こそが、世界が最も豊かに震える場所だと考えている。
撮影中の私はただ、自身の感覚を解放しながら世界のスキャニングを繰り返す。細部への没入を重ね、小さな違和感をキャッチしながらシャッターを切っていく。
撮り終えた写真はディスプレイで確認しながら、取捨選択を行う。ここでも撮影中と同様に感覚を最優先させる。そしてセレクトした写真の順番を変えたり、分類したりしながら、感覚の積み重ねの中から意味が立ち上がってくるのを待つ。
ここで生成されたものこそが、自分の中から生まれた世界の意味だ。そして生まれた意味から探索のためのアンテナの指向性を調整し、再び撮影の現場へと戻る。
このような撮影を40年間繰り返しながら、私は三つの撮影方法を確立した。
概念的抽出 ── トマソンの友人(無作為の仕事)
普通に撮影すれば、つい意味のあるものを撮ってしまう。そこで私は「超芸術トマソン」の考え方を出発点とした。トマソンとは、街の中にある無用で不思議な物件のこと。制作者はおらず、観察者だけが存在する。私はその概念を拡張し、人、物、自然が偶然に生み出した「無作為の仕事」にフォーカスしている。被写体を「無作為の仕事」と再定義することで、事物が本来持っている意味から逃れる。誰も作ろうとしたわけではない、偶然に生まれた模様や配置に注目し、対象についている「名前」や「意味」を剥奪し、再定義を行う。
物理的変換 ── 光の実験室(光学装置による異化)
このプロジェクトでは、自作の装置を用いて撮影する。手作りレンズや宙玉レンズ、手ブレ増幅装置など。撮影時に介入し、自分の意図を超えた偶然を引き込むための装置を製作してきた。事物から反射した光は、装置を通過する際に物理的に変化し、光学的な異化を引き起こす。
装置を通過した光はその経路を変え、「当たり前」とされる視覚を揺るがす。知覚の相対性を可視化することで、「正しい見え方」が存在しないことを示す。
内的変換 ── 日常のワンダー(直感による異化)
このプロジェクトでは、紫陽花やキノコ、クラゲといった身近な生命を、直感と感覚に従って撮影し、撮影後のデジタル処理で内的感覚との共鳴点に合わせる。被写体の細部が血管のようなパターンに見えたり、その造形に吸い寄せられたりするままにシャッターを切る。
たとえばウズラの卵をネガ反転させると、青い海と白い雲が浮かぶ惑星のような姿が現れる。それは私の中にある、もう一つの宇宙だ。色調整は、私が出会った曖昧な感覚の世界との共鳴点を探る方法である。それは微細な調整から大胆な変換まで、日常の中に潜む不思議を引き出すために用いられる。
これら三つの方法は、異なるレイヤーでの介入でありながら、いずれも世界と私の間に生じる感覚的な曖昧な場を記録する試みである。
元々は中平卓馬の影響を受け、感覚的なものを排除すべきと思っていた。中平は主体と客体を峻別する二元論的立場に立っていたが、私は世界の一部であり、切り離すことはできない。主観でも客観でもない、両者の境界にある知覚の場こそが重要だと考えるようになった。
気を付けるべきは、誰かが考え出したようなステレオタイプなやり方を模倣することであり、魂的な部分は必要だ。何かに感動するというのは、世界や誰かの魂に共振するということだ。それを否定してしまうと、何の面白みもない写真になってしまう。
感覚は意味へと変容し、意味は新たな感覚を生む。この螺旋的な循環を通じて、世界と私の関係は絶えず更新されていく。撮る・観る・考える――この三位一体の運動こそが、私の写真行為である。
