作者のいない芸術

これは「無作為のアーカイブ」シリーズの中の「作者のいない芸術」部門だ。作者のいない芸術とは、誰かが意図的に製作したものではなく、誰かの発見により立ち現れる芸術のことだ。元々は超芸術トマソンの探査から始まり、やがてその周辺のものへと目が向くようになった。

超芸術トマソンとは

超芸術トマソンは、赤瀬川原平が提唱した芸術概念だ。赤瀬川による定義は以下の通り。
「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」
定義だけでは少し抽象的なので、まず写真を見ていただく。

この写真を見て何か不思議に思う点があるだろうか? 答えは窓がない、ということだ。庇があり、手すりがある。しかし窓は閉じられていて存在しない。かつてはそこにあったのだろうが、工事によりなくなってしまった。この場合、庇と手すりが無用となり、超芸術トマソンということになる。

では次の物件はどうだろう?

これは立派な門のように見える。たぶん以前はこの門の先に母屋があったのだろう。しかし現在は門のすぐ裏にビルが迫ってきている。つまりこの門が開いたとしてもビルの壁があるだけで、中に入ることはできない。つまりこの門は無用の超芸術トマソンということだ。

超芸術というのは芸術を超えたという意味だが、どこが芸術を超えているのだろうか。現代芸術の父と呼ばれているのはマルセル・デュシャンだが、デュシャンの有名な作品に1917年に発表した「泉」がある。この作品は男性用便器にサインをしただけのものだが、既製品を芸術とすることにより、それまでの芸術の定義や価値観を問い直し、そこからさまざまなスタイルの芸術作品が生まれるようになった。それが現代芸術の父と呼ばれる由縁だ。

そして赤瀬川が提唱した超芸術では作品を作らない。すでにある超芸術を発見するだけだ。「観察者はいるが製作者はいない」というのが大きなポイントとなる。デュシャンの場合も製作自体はしていないが、それを芸術とみなしたデュシャンが存在するというのが大きな違いだ。だからこそ超芸術は芸術を超えたというのが赤瀬川の主張だ。

本当に現代芸術を超えているのかどうかは別として、デュシャンに対し、さまざまなアーティストたちがアンサーをしてきたわけだが、その中でも秀逸な返しだったのではないだろうか。洒落のわかるデュシャンであれば、超芸術トマソンをおもしろがったのではないかと私は考える。

トマソンとその周辺

以下は、私が撮影した超芸術トマソンとその周辺の物件だ。明らかにトマソンと認定できるものもあるし、ちょっと微妙なものもある。しかしトマソンか否かという判断よりも、その不思議を味わい、境界部分を考えることこそがおもしろいと思っている。

家の近所で発見した開かずのドア。下が短くなっているのは元々ここに階段があり、そこを埋めたのではないだろうか。ドアノブは他の壁と一緒に吹き付け塗装がされており回すことはできなかった。

左側の建物の壁には屋根の形をした構造物が付いているがこの部分が無用。たぶんこの屋根は取り壊された隣家のもので、それがそのまま残ってしまったのだろう。その後塗装がされているが、しっかりとした存在感を放っている。

これはたぶんビルを半分に切断したのではないか。補修がされているが、そのぶった斬った感じがそのまま露出していておもしろい。かなり大胆な工事だったと言えるだろう。

通用口が塞がれて使えなくなっている。立派な洋館の門に付属するもので金をかけた補修がされている。他の壁面と違和感が出ないように同じような素材の石を使っているのはいい仕事と評価できる。一方でちょっと立派すぎて趣きはない。

こちらも出入り口を塞いだ物件。全く同じ素材ではなく、同系の色を合わせたところがポイント。と言っても、安く手に入るトタンを貼り付けただけで、配色を考えたとも思えない。意図せず生まれた配色の良さが評価に値する。

結構大きなオブジェだが、橋脚か何かだろうか。しかし周辺に橋のようなものはなく、これだけが唐突に存在している。元々は何かを作る計画があり、それが頓挫したということだろうか。もの派の作品を想起させられる。

建物脇の側溝の上にあった立方体のオブジェ。小さなミニマルアートのようだ。ただしこれは駐車を阻止するための実用物と考えられる。つまり無用ではないので超芸術トマソンではない。一方シンプルな存在そのものが小さなオブジェのように愛らしいので、その点を評価したい。

道路標識がなぜか集められていた。そしてその高さが不自然に短いという点が不思議。一般の道路ではなく、駐車場などの敷地内で使われていたのだろうか。盗難防止のためだろうかロープで繋がれているが、これを持っていく人がいるとは思えない。

旧築地市場内で発見した柱に書かれた謎の数字群。チョークのようなもので数字がたくさん書かれているが、これは値段や数量を記したメモのようなものだろうか。擦って消した後に数字が上書きされているが、そこに歴史を感じさせられる。

道路に記された謎の数字とサークル。これを見ると時計かという人がいるが、数字の並びはランダムである。魔法陣のようなものでモンスターを召喚するために描かれたようにも見えるが、道路工事のための印と考えるのが妥当だろう。

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