これは「無作為のアーカイブ」シリーズの中の「無作為のオブジェ」部門だ。この部門の特徴は、人が製作したものでありながら造形的な意図やデザイン性を感じさせない点にある。
建築物であれば普通の住居はオーケーだが、建築家がデザインしたものなどは除外される。たとえば、身近にあるが造形的に意図を感じさせない犬小屋や看板、マネキンなどが対象となる。その中から、自分の感覚でセレクトしている。
これは作為のないものに美を見出した柳宗悦の民藝の視線に近いのかもしれない。ただし民藝が「無名の職人による手仕事」に光を当てたのに対し、こちらは職人技とは限らず、むしろ素人仕事や偶然性を含む造形である点が異なる。また超芸術トマソンが「役に立たなくなった都市の付属物」を対象とするのに対し、無作為のオブジェは最初から役に立つかどうかは問わず、造形意図のない人為物を拾い上げている。

近頃は見かけなくなった非常に古いタイプの犬小屋。市販品には見えないが出入り口のRの切り方や屋根の上についている棟板金から、大工仕事ができる人が作ったと推測される。配色や褪色具合もGood。

医療用品店店頭のマネキン。ここはキミのいる場所じゃないと思う。前職は何だったんだろう。少なくとも髪をまとめたりしたほうがいいんじゃないかな。

今は使われていない牛乳箱。私が子供の頃はこのような牛乳箱に毎日牛乳が宅配されていた。今でも牛乳の宅配自体はなくなっていないが、スーパーなどで購入するのが一般的だろう。このローカルなメーカーは現在は大手メーカーの牛乳の配達をしているらしい。

通学路を表す標識。かなり薄くなっているので運転中に認識するのは難しいかもしれない。そしてこの標識が薄くなってしまったように、この地域の子供の数も減ってしまった。

小さな公園。誰かが持ち込んだのであろう椅子が並んでいる。外で茶飲み話をするには気持ちいいかもしれないが、ちょっと距離が近いかな。同じ方向向いてるし、おしゃべりしにくいかもしれない。

野球場のスコアボード。鑑賞するにはいいが、痛みすぎていて実用的ではない。イニングが漢数字だが、これっていつぐらいのものなんだろう?

古すぎる地図看板。錆び錆びでまったく実用性はない。かろうじて道が見える部分もあるが、道も見えなくなった部分はたぶん暗黒の異世界だ。ここにだけは迷い込みたくない。

堂々とした佇まいの材木店の倉庫。トタンがかなり錆びてはいるが未だ現役。この姿に萌えている自分はトタン好きで錆び好き野郎なんだと確認できる。

緑のトタンの壁には子供の手によると思われる花や電車などの絵がたくさん描かれている。ここまでたくさん描かれているということは、大人の許可をもらっていると思われる。これは微笑ましく感じるが、大人が自己主張のために描いたスプレーアートはやめて欲しい。

いい感じの電線。なんか出鱈目に張り巡らされているようにも見えるが、一応各戸に繋がっているのだろう。しかし盗電されてもわからないだろうな。

独立して存在するブロック塀。穴あきブロックの部分が多すぎて強度的には難がありそう。しかも鉄筋が上から出っ放しになっているので、素人仕事なのかもしれない。デザイン的にはいい感じ。

家の階段。これも構造的に弱そう。なんか自分は構造的に不完全で危ういものに惹かれるのだろうか。ペンキの色や剥げ具合も良し。