無作為のアーカイブ──まなざしと痕跡の関係

私の写真の出発点は、赤瀬川原平によって提唱された「超芸術トマソン」にある。街に存在する、すでに用を失った構造物を観察し、撮影・記録する過程で次第に写真そのものに関心を持つようになった。

赤瀬川の「超芸術には観察者はいても制作者はいない」という美術の枠組みを揺さぶる画期的な発想に強く惹かれた。そしてトマソン以外にも、偶然に生まれた痕跡、自然の作用による変化、植物の営みなどにより誕生した様々な痕跡を探し求め記録してきた。

身の回りにある見過ごされがちなものとの出会いを通して、不思議を感じ、解を求めずに思考を楽しむことがこのプロジェクトの目的である。

超芸術トマソンから広がった視点を整理するために、5つのカテゴリに分類した。最初から明確な意図を持って撮影していたわけではないが、撮影後の振り返りによって、思考が深まりプロジェクトの輪郭が形づくられた。以下がその5つのカテゴリだ。

作者のいない芸術

元々は実用性があったものが、工事などによって無用化したもの。赤瀬川原平はこのような物件を超芸術トマソンと名付けた。たとえば元々は階段として機能していたが、入り口が塞がれることにより、上り下りする以外の機能を失った純粋階段など。ここでは超芸術トマソンとトマソン周辺の、人間の作為から切り離された構造物を記録している。

偶然の痕跡

人や生物の意図なき行為が生み出した痕跡。トマソンが機能が失われ無用化したことを特徴とするのに対し、機能や目的を帯びず、ただ出来事の結果として刻まれた痕跡。たとえば人がペンキ塗りをしていた時に落としてしまったペンキの痕。猫が生乾きのセメントの上を歩いてつけた足跡。車が擦ったり衝突したりしてできた痕など。まったくの偶然により誕生した痕跡を記録している。

自然の仕事

このカテゴリでの担い手は自然だ。偶然の仕事との違いは、人や動物が直接関与したものではなく、自然の物理的・化学的作用によって生まれたもの。たとえば錆びによる変化、経年変化により剥がれたり褪色したペンキの跡。人間や動物による直接的な介入がなく、人為の介在を感じさせない痕跡を記録している。

植物の営み

大自然の中ではなく、身近な路傍や街中で見られる植物の営み。アスファルトの隙間から顔をのぞかせる雑草。蔦に侵食される家。路上に落ちた花が描く模様など。都市の隙間に立ち現れる自然の営みを記録している。

無作為のオブジェ

作り手はいるが、造形的な意図やデザイン性のないもの。たとえば身近にあるが造形的に意図を感じさせないもの(犬小屋や看板、マネキンなど)。これは作為のないものに美を見出した柳宗悦の民藝の視線に近いかもしれない。他のカテゴリとの違いは、定義に当てはまるか等の理屈よりも、直感的に惹かれた対象を記録している。

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